2019.12.10

東洋大学出張講座ペリー来航と幕末情報社会予告情報と金海奇観。その時、寒川は12月7日開催終了しました

ペリー来航情報は、1年前からオランダ商館長より

オランダ風説書という形で幕閣に知らされていました。

しかしながら、老中首座、阿部正弘は開明派の外様大名

島津、黒田、鍋島や幕府内上層部の一部の人間しか知らせず、

知らされた幕府内の役人は幕政に参加できないはずの黒田長溥

の侮蔑的な建白書に怒り、有効的な手立てを立てられず、無為に

過ごしました。
1853年、初めてペリーが来ましたがこれは主に恫喝を目的とした
ものであり、その半年後の1854年、ペリーは9隻の黒船を率いて
日米和親条約の締結を目的に再来航しました。今回の講義では
この時の来航や幕府の応接の様子を絵巻きに描いた仙台藩の儒者、
大槻磐渓が仙台藩主伊達慶邦に説明するために作成した金海奇観

をベースに話をすすめていただきました。
黒船、乗組員、応接所、他が克明に描かれており、この絵図に
描かれた拳銃を参考に水戸藩で模造銃が作られ、これが水戸浪士
が井伊直弼を襲撃した桜田門外の変で使用されたとの話に参加者
の皆さんは驚かれていました。教科書では習わない幕末の大きな
歴史転換点に皆さん、興味深く聴いておられました。