2021.06.15

大奥御台所篤姫と和宮江戸無血開城に果たした役割とその後の生涯6月13日開催終了しました

今回は皆さんご存知の13代将軍家定の御台所篤姫と14代家茂の
正室、和宮の歴史的役割と彼女たちの生涯について東洋大学教授、
岩下先生に解説していただきました。
篤姫は島津家一門から島津斉彬の養女として、第13代
将軍家定の3番目の正室として迎えられました。
篤姫は、世上で言われているように一橋慶喜を擁立するために
斉彬により将軍家に送り込まれたというより、島津家出身の11代
家斉の正室広大院が良妻賢母として立派であった為、将軍家輿
入れの島津家の姫として白羽の矢が立ったようです。
一方、14代家茂の正室、和宮は公武合体の強い政治潮流の中で
許嫁の有栖川宮との縁を切らされ、また、幕府への降嫁の条件が
十分満たされない中、いやいやながら徳川家に入輿しました。
武家育ちの篤姫と御所育ちの和宮は当初は、対立していましたが、
新政府軍の幕府討伐、徳川家の家名断絶の危機に瀕するとそれぞれ
の伝手で新政府軍に攻撃中止の嘆願書を書いたものの、手紙の意図
するところは新政府軍には理解されず、山岡鉄舟の駿府談判で幕府
の意向がやっと理解され、江戸無血開城に繋がっていきました。
公武合体や大政奉還といった大きな政治潮流の波に揉まれながら、
明治維新後も徳川家の女として逞しく生きた二人の生き様が良く
理解できました。